色褪せない思いが私の真ん中で再び輝き出す。久しぶりに“自分”に戻れた尊い時間。
久しぶりに指先がピアノを求めたので、
ベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」を弾いた。
最初の一音を弾いた瞬間から、
世界が静かに深く、広がっていく。
一音一音、
深く、もっと深く、自分の中に落ちていく感覚。
ここではない世界が私の中で広がっていく。
そして、今日はピアノを弾きながら、
何年ぶりかに、
踊りの女神様がこの「月光」とともに、
静かに舞い降りてきた。
それで、身に着けていたジーパンもセーターも脱ぎ捨てて、
ヨガ用の黒いレギンスとキャミソールだけになって、
部屋の中央に佇んだ。
大学時代の話。
授業をさぼってよく図書館に行った。
今思うと、さぼってはいけないような授業ばかりだったけど(>_<)
図書館には、バレエのLDやバレエ雑誌、クラシックのCDがたくさんあり、
そこは私にとっては、憧れと夢のような場所だった。
「スパルタクス」、「ロミオとジュリエット」、「白鳥の湖」、
「眠りの森の美女」、その他いろいろ・・・
もう、むさぼるように見ては、
振付、衣装、舞台装置、音楽、踊り手のことを、
何様なの?ってぐらい、自分なりに分析して、
細かくノートに書きとめた。
総合芸術に興味もあった。
将来、バレエ雑誌のライターになるかもね!と、
半分、本気で思いながら、
本気で見て、本気でノートに書いて、
授業も確固たる決意のもと、本気でさぼった。
特に「ロミオとジュリエット」は私の琴線に触れ、
あの抒情的なケネス・マクミランの振付、
音楽はプロコフィエフ、
そして伝説と名高い、
アレッサンドラ・フェリのジュリエット。
社会に出て、初給料で買ったのが、
この「ロミオジュリエット」のビデオだった。
バレエだけでは満足せず、
CDとスコアも買って、
音楽を聴きながら、
スコア(総譜)で音の広がりを見て、振りから生まれる世界観をイメージしたり、
そんなマニアックな楽しみ方をしていた(笑)
そうやって、
フツフツと湧き上がる自分のエネルギーは、
大学に入ってすぐ入部したダンス部で、
爆発させた。
自分の内面を踊りで表現したかった。
悩みも、悲しみも、怒りも、憧れも、後悔も、絶望も、
踊ることに憧れている純粋な気持ちも、
すべて踊りで表現したかった。
だから、踊りを作った。
衣装も、照明も、振りも、
そして大切な音楽も、
すべて自分で決めて、踊って、
舞台化した。
それは私がやりたかった、
私なりの“総合芸術”だった。
もちろん踊りも習ってなかったから、
ド素人の自己流、
今思うと人に見せるレベルではないし、
かなり恥ずかしい。
他のダンス部メンバーは、
多少なりともバレエやジャズダンスを経験していた。
その中でド素人の私の踊りを見て感動した、とか、
感動して入部を決めてくれたという後輩の声を勇気に変えて、
自分の“総合芸術”を求め続けた。
もちろん、メンバーたちが作った
ヒップホップ、レゲエ、ジャズなども挑戦して踊った。
図書室で見ていた憧れの世界が、
さらに私の感性に火をつけて、
熱さと思いを支え続けた。
そんな大学時代が、
冒頭の「月光」を弾いて蘇ってきた。
そして、
前から私の直感で“この曲で表現してみたい!”と感じていた
Mr.childrenの「WALTS」も踊ってみた。
1時間くらい汗だくで、
思いのまま、
一心不乱に踊った。
私は私でいいんだ。
このままでいいんだ。
やっと、やっと心からそう思えた。
すごく安心した。
久しぶりに“自分”に戻れた時間。
なんて希望に溢れて
なんて尊いことなんだ。
いつかこの2曲をきちんと、もっと具現化したいと思った。
私なりの“総合芸術”をもう一度。
やってみたい。
色褪せない思いが、
再び私の真ん中で輝きだす。
その時は、もう少し、
フラメンコもバレエも上手くなっているはずだ。
☆odoruotome☆