踊る民族の足音は不器用に呼吸する

悩みながらも、ダイナミックに足音を踏み鳴らして生きたい。 踊る、音楽、本、人生について。熱い語ログ。

色褪せない思いが私の真ん中で再び輝き出す。久しぶりに“自分”に戻れた尊い時間。

久しぶりに指先がピアノを求めたので、

ベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」を弾いた。 

 


ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」:ギレリス

 

最初の一音を弾いた瞬間から、

世界が静かに深く、広がっていく。

一音一音、

深く、もっと深く、自分の中に落ちていく感覚。

ここではない世界が私の中で広がっていく。

 

そして、今日はピアノを弾きながら、

何年ぶりかに、

踊りの女神様がこの「月光」とともに、

静かに舞い降りてきた。

 

それで、身に着けていたジーパンもセーターも脱ぎ捨てて、

ヨガ用の黒いレギンスとキャミソールだけになって、

部屋の中央に佇んだ。

 

 

大学時代の話。

授業をさぼってよく図書館に行った。

今思うと、さぼってはいけないような授業ばかりだったけど(>_<)

 

図書館には、バレエのLDやバレエ雑誌、クラシックのCDがたくさんあり、

そこは私にとっては、憧れと夢のような場所だった。

 

スパルタクス」、「ロミオとジュリエット」、「白鳥の湖」、

「眠りの森の美女」、その他いろいろ・・・

もう、むさぼるように見ては、

振付、衣装、舞台装置、音楽、踊り手のことを、

何様なの?ってぐらい、自分なりに分析して、

細かくノートに書きとめた。

総合芸術に興味もあった。

将来、バレエ雑誌のライターになるかもね!と、

半分、本気で思いながら、

本気で見て、本気でノートに書いて、

授業も確固たる決意のもと、本気でさぼった。

 

特に「ロミオとジュリエット」は私の琴線に触れ、

あの抒情的なケネス・マクミランの振付、

音楽はプロコフィエフ

そして伝説と名高い、

アレッサンドラ・フェリのジュリエット。

社会に出て、初給料で買ったのが、

この「ロミオジュリエット」のビデオだった。

 

バレエだけでは満足せず、

CDとスコアも買って、

音楽を聴きながら、

スコア(総譜)で音の広がりを見て、振りから生まれる世界観をイメージしたり、

そんなマニアックな楽しみ方をしていた(笑)

 

そうやって、

フツフツと湧き上がる自分のエネルギーは、

大学に入ってすぐ入部したダンス部で、

爆発させた。

自分の内面を踊りで表現したかった。

悩みも、悲しみも、怒りも、憧れも、後悔も、絶望も、

踊ることに憧れている純粋な気持ちも、

すべて踊りで表現したかった。

 

だから、踊りを作った。

衣装も、照明も、振りも、

そして大切な音楽も、

すべて自分で決めて、踊って、

舞台化した。

それは私がやりたかった、

私なりの“総合芸術”だった。

 

もちろん踊りも習ってなかったから、

ド素人の自己流、

今思うと人に見せるレベルではないし、

かなり恥ずかしい。

 

他のダンス部メンバーは、

多少なりともバレエやジャズダンスを経験していた。

その中でド素人の私の踊りを見て感動した、とか、

感動して入部を決めてくれたという後輩の声を勇気に変えて、

自分の“総合芸術”を求め続けた。

 

もちろん、メンバーたちが作った

ヒップホップ、レゲエ、ジャズなども挑戦して踊った。

 

図書室で見ていた憧れの世界が、

さらに私の感性に火をつけて、

熱さと思いを支え続けた。

 

そんな大学時代が、

冒頭の「月光」を弾いて蘇ってきた。

そして、

前から私の直感で“この曲で表現してみたい!”と感じていた

Mr.childrenの「WALTS」も踊ってみた。

 

1時間くらい汗だくで、

思いのまま、

一心不乱に踊った。

 

 私は私でいいんだ。

このままでいいんだ。

 

やっと、やっと心からそう思えた。

すごく安心した。

久しぶりに“自分”に戻れた時間。

なんて希望に溢れて

なんて尊いことなんだ。

 

いつかこの2曲をきちんと、もっと具現化したいと思った。

私なりの“総合芸術”をもう一度。

やってみたい。

色褪せない思いが、

再び私の真ん中で輝きだす。

 

その時は、もう少し、

フラメンコもバレエも上手くなっているはずだ。

               

              ☆odoruotome☆