踊る民族の足音は不器用に呼吸する

悩みながらも、ダイナミックに足音を踏み鳴らして生きたい。 踊る、音楽、本、人生について。熱い語ログ。

夕日とタバコとジョン・レノン。

大学卒業後に借りていたアパートは高台に立っていて、

部屋から見える夕日が最高にキレイだった。

家賃5万円以下、風呂トイレ共同、西日があたる部屋。

 

 

働いて、踊って、

働いて、踊っていた日々を過ごした部屋。

 

部屋を借りるなんて生まれて初めてだったから、

不動産屋のお兄ちゃんに部屋の方角をよく確認することもせず、

その物件が西向きだったというのは住んでからわかったこと。

 

夏は西日のせいで燃えるように暑かったが、

そんなのは若さで乗り切れた。

おかげで、春夏秋冬の美しい夕日を見ることができた。

 

暑くて、せまくて、少々不便な部屋だったけれど、

 自分で稼いだお金で生活できる自由こそが

一番、手に入れたいものだった。

 

当時、

村上春樹の「ノルウェイの森」の世界観に憧れていた私。

 

部屋がオレンジ色に染まる頃、

たまに、キッチンの引き出しから、大事にしまってあるタバコの箱とライターを出して、

大切な1本に火をつけ、電気を消し、

窓を開け、ジョン・レノンを聴きながら

煙草をくゆらせる、

なんてことも、やってみた。

 

毎日吸ったり、持ち歩くことはなかったけれど。

むしろ、煙草は全然慣れなくて、煙が苦手だった。

 

夕日を見ながら、ジョン・レノンを聴き、

煙草を吸って、少しむせながら、コーヒーを飲む。

 

Lennon Legend: The Very Best Of John Lennon

Lennon Legend: The Very Best Of John Lennon

  • アーティスト:Lennon, John
  • 発売日: 1998/02/24
  • メディア: CD
 

 

 

センチメンタルに浸りながら、

昔を思い出してみたり。

自分と向き合う大切な時間だった。

 

上手くいった日も、

夕日が涙でにじむ日も。

 

秋の早朝は、

部屋の空気は青く透き通っていて、

キンモクセイの香りがした。

青い朝の部屋は

静かで、

深く、

身体が浄化されていくようだった。

 

 

大学卒業後は、1年間だけ、組織の中で社会人として働いた。

 

小さい頃から踊りを習っていなかったから、

とにかく技術が欲しかった。

自分が受けたいレッスンを受けまくる。

そんな憧れの生活と

時間の自由を作りたくて、

卒業後2年目から、

バイト生活を選んだ。

 

自分が通うダンススタジオを拠点にし、

他のダンススタジオのレッスンも単発で受ける。

アメリカからすばらしい先生が来日したよ、と聞けば受けにいく。

ついていけないレッスンもあった。

上手い人の踊り方を見て学ぶ。

負ける気がしなかった。

文字通り、武者修行。

若さゆえの怖いもの知らず。

エネルギー。

当たって砕けろ。恐れるな。

 

ニューヨークでレッスンを受けてみたい、

そんな夢を、ダンスを通して出会った人たちが、

持たせてくれた。

どんなジャンルも踊ってみたかった。

 

親はそんな私を否定し続けた。

だから、私は、私自身を信じ続けた。

 

 

お金はなかったけれど、

幸せだった。

 

早朝5時から、お弁当屋さんバイトをして、

9時にまかないごはんを食べる。

10時からジャズダンスのレッスンを受けて、

午後はまた別なバイトをする。

夕方からはバレエのレッスンを受けて一日が終わる。

 

自分の誕生日も、

クリスマスも、

踊っていた。

こんなに踊ることに集中できることが嬉しくて。

そんな自分に感動した。

朝から晩まで踊っていたあの頃。

 

夏のある日、

私はジーパンにノースリーブのシャツ、

ダンスシューズやレッスン着の入った大きいバッグを肩にかけ、

ロングヘアをなびかせながら

スタジオに向けて闊歩していた。

風が心地いい。

新緑の季節が美しい。

そうか、コレが"魂の自由"ってやつか!

今まで感じたことがない、解放感だった。

恐いモノなんてなかった。

 

全くもってオシャレじゃなかったけれど、

着るものなんてどーでもよかった。

働いて、踊って、働いて、踊って、

心が満たされていた。

 

 

けれど、

すべて、のびのびと上手くいっていた訳ではない。

 

最初に習っていたダンスの先生には、

「あなたは細くて鶏ガラみたいね」

と、言われた。

 

自分のコンプレックスを刺され、

純粋な気持ちは打ち砕かれ、

精神的なショックを受けたのだと思う。

 

次の日の朝、

起きて、

突然、吐いた。

 

バイト先のストレスもあって、

身体も疲れていたのだろうか。 

少し前から、

蕁麻疹も出ていた。

 

すべて辞めた。

 

辞めて、

1ヶ月、実家に帰ったこともあった。

帰ってから、毎日のように、地元の図書館に通っていた。

図書館まで、歩いて片道30分。

田舎の、むせかえるような緑と青空の中、

川辺を歩いて通った。

草を踏んで

石を踏んで

とにかく歩いた。

歩いて、歩いて。

 

前に進む自分の力を信じて、

汗だくになって歩いた。

 

図書館で、

自己啓発本や哲学の本を

写経のように、ノートに書き写した。

書くことで無心になれた。

書くことで勇気が湧いてきた。

 

1ヶ月後、

またその部屋に戻った。

 

そして、

新しいダンススタジオの門を開いた時に

人生の転機が訪れた。

 

「ぜひ!うちのスタジオへ!

    細いことはいいことよ!

    背筋を伸ばして自信を持ちなさい!」

 

そのダンスの先生の力強い言葉に導かれて、

見学をしたその日に、そのスタジオに入会し、

がむしゃらに、修業をする日々が始まった。

 

そして、このブログの冒頭に戻る。

 

そのスタジオはプロを育てるようなスタジオで、

役者、ミュージカル俳優、女優、テーマパークダンサーなどで活躍する

現役生から、

現役のダンス講師、学生、もちろん趣味で習っている人などがレッスンを受けて、

志高く、切磋琢磨しているスタジオだった。

 

あのがむしゃらな日々があったからこそ、

今の私がいるのだと思う。

がむしゃらな時代があったから、

力を抜くことも覚えられた。

1か月の写経をするような日々があったからこそ、

すばらしい先生にも出会うことができた。

 

自分らしい生き方をするのは

容易なことではない。

今いる世界が自分の世界だとも限らない。

新しい可能性のドアを開くために、

勇気をもって前に進んでみる。

 

もちろん、傷つくこともある、

上手く進めない時もある。

 

そんな時は、

逃げたっていい。

休んでもいいんだよ。

 

正直に、一生懸命に生きていれば、

きっと、次の光が見えてくるのだと思う。

 

 

“どうしても咲けない時もあります。

雨風強い時、日照り続きで咲けない時日、

そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、

根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものになるために” 

                    (渡辺和子 「置かれた場所で咲きなさい」引用)

                                        odoruotome☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介の前に・・どうしても三浦春馬について共有したかった思い

 

 

自分を知ってもらうためには、

まず自己紹介を書くのが順番ってなもんだろう、と

思うのだけれど、

どうしても書きとめておきたいことがあった。

 

むむむ・・・昨日一日悩んだけれど、

やっぱりソレを書くことを優先したい。

いいんだ、だって私が始めたブログなんだもの。

伝えたい思いこそが、私という人物の自己紹介になるのではないか。

なーんて思った。ソレをまず伝えたい。

 

それは、

俳優の三浦春馬について。

 

私は取り立ててファンという訳ではない。

ただ、やっぱり、あまりにも衝撃とショックが大きすぎた。

きっと、この悲しみを共有できる人は

ファンじゃなくても

たくさんいるはずだ。

 

何年か前、

テレビの歌番組で、ダンサーを従えて、中央で歌いながら踊る彼の姿を見た時、

三浦春馬ってこんなこともできるんだ」と、

とても感じ入ったことを覚えている。

俳優のイメージがあったから、私の中では多少の違和感はあったけれど、

いやいや、すごかった、なんでもできるすごい人だなあ、と思った。

 

それと同時に、ふと感じたことがある。

 

彼は、一緒に踊るダンサーに劣らない、完璧な踊りを披露した。

本当にかっこ良かった。

でも完璧すぎて、力が抜けてないように思えた。

踊り方?テレビ初披露なら力も入る?

 

私には、

力を上手く抜けない人なんじゃないか、

この人大丈夫かな、

本当にコレがやりたかったのかな、

というように思えてしまった。

 

ファンでもないくせに、大きなお世話である。

けれど、彼の訃報を聞いた時、

その時、自分がそう感じたことを思い出し、

唖然とした。

 

それから、インスタで彼が辿ってきた道を、

写真を、動画を、アップされているもの毎日のように見た。

 

一度だけ、涙したことがある。

 

訃報の次の日、

テレビの報道を見ていたら、

「仕事にも恵まれていたのに、なぜこんなことに?」と

言っていた芸能人がいた。

そのコメントに、なんだか違和感を感じた。

そうじゃない、違うんじゃないか?

 

そのまた次の日あたりだっただろうか。

テレビで、

彼の手帳には、

「死にたい」と記されていた、と報道された。

途端に、怒りと涙が湧き上がった。

“やっぱり彼は死にたかったんだ!

ちゃんとサインが出てたじゃないか!

なんで誰も気づいてあげられないんだ!!”

 

叫んだ訳じゃない。

 

涙が止まらなかった。

とても悲しかった。

三浦春馬という

一人の人間を思って泣いた。

 

人間生きている中で、

もう疲れた、死にたいと思う経験をした人は少なからずいるはずで、

八方塞がりになって、

本当に苦しくて、どうしようもなくて、

誰に相談していいかもわからなくなって。

本当にだめな時は、

誰にも相談できなかったりする。

仕事なり、好きなことなり、

何か別なことに集中できれば、また笑顔に戻れたりするけれど、

元気がない自分を悟られたくなっかたり。

だから、彼の気持ちを少し理解できるよという人も多いと思う。

私もそう。

 

でも、でも、

三浦春馬という人は、

ブロードウェイに、

世界に、もっともっと、

これから行ける人だったんじゃないか。

舞台を夢見る人たちの、

また夢を忘れられない人たちの、

希望や憧れになるはずだったのではないか。

 

圧倒的歌唱力。演技力。華。

 

こんなに実力がある人だったんだ。

薄っぺらいかっこつけマンではなく、

実力がある人だった。

もっとわがまま言って欲しかった。

挑戦するその様を、希望を、努力を、

見せつけて欲しかった。

 

 

時に、親だったり、仕事だったり、今いる環境は、

自分の夢や希望の足枷になったりもする。

 

幼少期に家族の中で培われてきたものは、

大人になっても、影を落としたりもする。

 

私は昔、海を見て、行き止まりを感じ、

絶望したことがあった。

 

でも、泥沼に落ちる度に、もがき、苦しみ、

方向転換と軌道修正をしながら、

自分の気持ちに正直に生きてきた。

 

一般人な私と比べると、

 芸能界に幼い頃から身を置いて、

売れっ子であれば、

自分の意志で方向転換なんてできるはずもない。

そして、自己肯定感が低い人だからこそ、

人に優しくて、人に対しても繊細な人だったのではないかと思う。

 

 

「世界はほしいモノにあふれている」という番組。

 

番組の中で、

彼が初めて出会うモノ、瞬間瞬間に、

ハッとして、きらめいて、興味を持って、

触って、食べて、飲んで、

笑うその姿が、

彼の持つ内面から出る輝き、

それが素のように感じた。

真面目な人柄も伝わってくる。

亡くなってから、その番組を知ったことがくやしい。

 

レベルは違えど同じく芸の道を修業する者として、

彼の分まで踊って歌いたい、と思った。

そう思えたことも不思議だった。

 

もっと、ていねいに努力していこう。

もっと、ていねいに毎日を積み重ねてみよう。

 

 三浦春馬さん。 

私にそう思わせてくれた

あなたの人間力は、

あなた自身が思うより、

本当にすばらしい力だったと思う。

生きていて欲しかった、と誰もが願っている。

もう届かない願いだけれど。

 

やっと解き放たれて、

世界を旅しているかも知れないな。

風のように

あの笑顔で。

 

なんだか、ね、

そう思わずにいられないような

悲しさと優しさが。

 

彼が残したものは、

あまりにも偉大で

美しく、純粋で、

儚い。

 

私も何かを残せるように

生きていこう。

 

                      odoruotome☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日から私は!!(祝)

 

 はじめまして(*^_^*)

今日から私は!!めでたくブロガーになりました。

おどるおとめ⭐️と申します。

ブログにお越しくださり、ありがとうございます✿

 

踊る民族とは、私のことです(笑)

不器用とは、私のことです(汗)

 

いろいろな思いが詰まっているこのタイトル。

折々、語りながら

ブログが進むにつれて、

このタイトルを理解してくださる方が増えるといいなと思います(>_<)

 

うん。

なかなか私らしくて、いいタイトルのような気がしてきたぞ(笑)

 

  

              odoruotome☆